閉塞感の正体

このドキドキはなぜとまらない。グロテスクな時代の幕開けに寄せて。: Wowee Zowee!

さて。インターネットの登場によって従来型の「空間」の概念がほぼ消失し、世界は無限大に広がったにも関わらず、それぞれの檻に閉じ籠り、濃密で閉鎖的な世界に沈殿し傷を舐め合うようになるというアンビバレントな光景が日常化して久しい。つながりを求めつながりによって苦しむなんて、不幸にも程があると若年層をその只中にありながら不憫に思っている。

「つながりを求めつながりよって苦しむ」
言語化しにくいジレンマのように感じているこの感覚
肥大した自意識を締め付けるには

今現在の僕は、本当に「自分のすきなものだけ」に囲まれて漂っていく広がりのない狭い世界がつまらなくて、気持ち悪くてしょうがないと感じている。
「すき」という感情そのものにフォーカスした共通言語でその壁をぶち壊していこうというのはその一つの試みでもあったりするのだが…。

微温湯でふやけていく手を見て何も感じないのか?
だったらその風呂から抜け出そうぜゴーアウェイ
不安も起伏も何も無い毎日がそんなに欲しいのか?
勇者も冒険に出なけりゃただの村人だ
外に飛び出した村人が勇者になれるのかもしれない
勇者にはなれなくても勇者に出会えるかもしれない
とかね


僕の知らない場所にまだ素晴らしい何かが待っていることは確かだ。
今までもそうだった、これからもそうだ。


この壁のブレイクスルーを当面の目標にしていきたいなと思ったのでした。
そのためにもこつこつなんかやっていこう
ゲリラ大いに結構じゃないですか


それにしてもみかんぱさんの思想は心に響くものがある。
CDレビューの時の巧みな言葉遣いといい尊敬せざるをえない。