リテラシってほんとうにややこしい

現在の研究についてとても関係あるのでメモメモ

**リテラシーは誰にも頼れないときに必要になる - 発声練習

「**リテラシー」が必要・不必要の話は、「ある分野において最低限必要な知識や能力はどのくらいか?」という疑問に対する答えの違いに収束できると思う。もちろん、「ある分野の知識や能力はそもそも必要か?」という疑問もあり得るが、ほとんどの場合、そんな分野のリテラシーが議論になることはない。

ゲーム分野でのリテラシが必要なのかどうかという疑問に答える必要があります。

これは「科学リテラシー」についての話だけれども、本質的には次の主張が成り立つと思う。ある分野において専門家がいるとき、非専門家に『**リテラシー』を求めるのは意味がない。なぜならば、ある事柄に対する判断について専門的知識が必要であるとき、『**リテラシー』程度の知識ではその事柄について判断を下せないからである。

リテラシ程度の知識でできることとできないことをはっきりさせる必要がある気がします。

我々は忙しい現代人であり、かつ、専門知識はどんどん細分化されその専門性を深めていっている。そのような状況ですべての分野における「**リテラシー」を身につけることは不可能なので、自分が損をしたくない分野、自分が生きていく上で避けては通れない分野の「**リテラシー」を身につけ、その「**リテラシー」に基づき、その分野の専門家の判断を批判的に見るべき。「**リテラシー」を身につける余裕がないならば、その分野において信じられる専門家を見つけ、その人の判断を自分の判断の代わりに使用するのがベター。

「**リテラシー」を「ある分野において最低限必要な知識や能力」とおくと、このような事は確かに言えると思います。


後藤康志さんは「メディアリテラシーの発達と構造に関する研究」において以下のように述べています

リテラシーは「獲得すべき普遍的な能力」として学習者の外部に存在し、学習者はそれを受動的に学ぶのでは無く
学習者自身がメディアとの関係を取り結ぶ中で、自ら作り上げていくものである

この考え方は、リテラシの在り方を考える上で大事だなと考えています。


・・・・とは書いたものの何が言いたいかよくわからなくなってきました
とりあえず思ったことは、リテラシがとても曖昧な言葉だということ
だからリテラシを論じる際にはきちんと定義をしてから論じないと
その定義が色々あって難しいのですけども・・・
またその考えの全部が全部を一口に「リテラシ」という言葉に閉じ込めずに
その定義にあった言葉を用いて、しっかり区別することが重要だなと思いました



難しいです、理解するのも論じるのも
ひたすら自分のレベルの低さを痛感するばかり