草稿「最近の言い訳としての「君の不在」と「偶像の存在」」

もっときちんとした文章にするべきなのだが、いまはこれで。



もとより憧れという存在が自分には必要だっった
そこに行きたいという想いが、自分を無理矢理動かしていることは明白だから
頑張って達成できたこともあった。それがとても嬉しかった。
でも今は、どんどん嫌な深みにはまっていて、抜け出す行動すら億劫になっている
そして今も、何もしないまま、うつろな眼で、居もしない他者を待ち続ける


自分のこの曲解している生き方が報われることごがあるのかなって考え自体が
すでに目先の報酬が無いと何もやりたくな幼稚な振る舞いであることも知ってる

自分が見出さなければ意味が無いことも


今を生きる この世界には 英雄なんてもんは居やしない
誰も彼も 余裕を無くし生きている


故に 人の不幸が好きで 生きる糧に 成り果てている
だから 自分自身もきっとそうなんだろう


今を生きる この世界では 英雄なんてもんにはなれない
だけど 誰かの特別にはなれるから


せめて 君の特別で居たい 英雄なんてもんにはならない
それが 叶うから この霧は 晴れるから

これこそプリミティブな動機
誰もが特別でありたい
偶像はみんなの特別である
だから偶像に憧れる
偶像に近づくことで誰かの特別になれるのなら


更に、偶像の裏に潜む地道な努力は、より明暗を際立たせて
わかりやすく感動できる


僕にとって
「君の不在」と「偶像の存在」とは

偶像は皆の特別の存在である、それに賭けることもできず


僕はマクロにもミクロにも特別を目指す対象が無い者は、何をすればいいのだろうか


こう考えると、解消案も簡単に定まるようにも思う
つまり、僕にとっての特別を主張したい存在が見つかれば、またそう生きることができるのではないかって


だけど、この事をようやく言語化できるようになって
僕は非常に煩悶していると同時に、諦めのように冷めた眼でこの状況を分析してしまっていて
もし、そうなったとしても、このままなんじゃないか
ずっとこのままなんじゃないかって思ってる


大切なものは無くしてからわかるって良く言う
そして、自分の悩みは本当に等身大で、端からみればとてもどうでもよいことだから
そして、今回書いていることさえも、前と大意は変わっていない気もして、進歩の無さにうんざりしてしまうね



シンプルかつストレートなコミュニケーションを
自分のことになると、途端に周りが見えなくなって
言語化するだけで満足して、それからそのまま


それでも心からお話したい方はまだいるから
そしてそれまで生き長らえるだけじゃつまらないから
つまらないやつながらにも、動けない手や足だけども
音楽を聴いているその時間だけでも思いだして抗っていきたい