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さあ? 啓蒙と変化と対応と

こういった話を見かけると、マジコンの一般層への普及などとあわせて、ゲーム人口拡大の「闇」の部分を感じざるを得ませんね。ゲームに無関心な人達にゲームに触れてもらう、親しんでもらうのは素晴らしいことですが、一方で、ちょっと言い方は悪いのですが、無関心→ゲームに対して愛情をそれほど感じていない人達ですから、きちんと対価を支払う対象として認識していないのかもしれません。

普及した結果、その「反動」が出てきたということでしょうか。

ゲーム初心者がゲームに対して抵抗感を持たないようにする施策や、売り場でどのソフトを買ったらいいか迷わないようにガイドする施策など、直接販売に結びつく施策はメーカー側が比較的積極的に動いていますが、ゲームソフトにきちんとお金を支払ってもらうような啓蒙をする施策はなかなか及ばないところもあるのかもしれませんね。

ここにある「きちんとお金を支払う」といったことが揺らいでしまっていることは
ゲームに限った話ではなく、様々な分野で問題になっているのではないでしょうか?
(代表例としては音楽かしら…


こういった部分を改善するためにはどういう視点で切り込んで行けばよいかが依然として課題です。


oddmake(float) on Twitter: "いいかげんな知識で議論する人の方が、声が大きくて白黒はっきりしているので皆に受けいれられやすい。知識が深く濃くなるにつれ物事がそう割り切れるものばかりでないことがわかってくると、一般受けするように簡単に言えなくなるのだ。"

いいかげんな知識で議論する人の方が、声が大きくて白黒はっきりしているので皆に受けいれられやすい。知識が深く濃くなるにつれ物事がそう割り切れるものばかりでないことがわかってくると、一般受けするように簡単に言えなくなるのだ。

これをとてもひしひしと感じている昨今でございます、はい。

http://d.hatena.ne.jp/keitaro2272/20100513/1273699518

比べるというコストが発生する。


意志や目的が明確でなければ選択肢は広げない方がいい。


考えるべきは「周りがしているから」ではなく「自分がしたいから」


比較して優劣を競うよりも大切なのは「自らを問う姿勢」なのです。

自分はすぐに比較してしまうタイプの人間なので
もうちょっとこの辺りを考えてみたいなと思わされたのでメモ