竜騎士さんの云うゲームの持つ力とか

「制作会社に採用されなくてよかった」原作者・竜騎士07の挫折と下克上(前編)|日刊サイゾー

──起こった惨劇をやり直せる。そこが特徴ですね。


竜騎士 ゲーム的世界観ですね。ゲームでしか学べないことがあると思っているんです。取り返しのつかないこと、たとえば殺人です。現実に殺人をしたあとにそれを悔いても、反省を活かせない。殺人者の烙印を押され、自分は刑務所のなか。遺族の哀しみが癒えることもないでしょう。人を殺したらどんなによくない事態が待ち受けているかは、ゲームでしか学べないことなんです。「主人公の圭一=プレイヤーである自分」と考えれば、不可逆的な出来事を起こす前に学習できる。その意味で『ひぐらし』は「ゲーム」なんです。


──本来、人は文学や芸術から人生を学んでいたはずなんですが......。


竜騎士 エンターテインメント性が優先されると、痛快さ、爽快さばかりが求められるようになってしまいますよね。勝ち組のヒーローばかりを追体験するようになる。結果として読者はおもしろくない話を読まなくなり、不幸な人の追体験をしなくなる。もし、5年間引きこもった人が就職面接にこぎつけたらそれだけで偉業ですが、辛い人の気持ちを追体験したことがなければ、その感覚は理解できないでしょう。しかしゲームならそれができる。自分だったらどうなるかと、感情移入をする。ゲームはその度合いが高い表現だと思います。『ひぐらし』は選択肢がなく、アクション性のあるボタン操作もありません。けれども、読み終わったあとに議論をして噛みしめるという行為そのものが「ゲーム」だと言えます。