忘れてた大好きだったこの感覚

不定期で消失日記

まぁ総括的には、今で言う、ぐるーっとネットをジャンル搾って一巡り(ニュースサイトやら日記やら)するというような体験を、昔は雑誌を読むことでやってたんだろうというような事を感じた。

ただ、店舗別スコア欄に載ってる名も無きスコアラーたちのメッセージといいい、ライターの雑談といい、投稿者の声といい、とにかくコミュニケーションに飢えているが故の「濃さ」が誌面からにじみ出てくる感じがここにはある。「濃さ」というのは、あんま意識がメタな所に行ってないという、「純粋さ」と言い換えてもいいかもしれない。
また、コメントやレスで高速で対話をしていく訳ではないという事から生まれる「遅れ」と「ズレ」の感覚。編集の手・誌幅といったさまざまな限界からくる「狭さ」。声が形として「残留」していく感覚…こういうのはネットには無いものだ。

この「濃さ」「遅れ」「ズレ」「狭さ」「残留」の感覚が自分には恋しくて、ネットを巡っているのとは全然違った充実感を、ゲーメストのバックナンバーを読む体験で得ることが出来た。

大雑把に言うと、全体的に何やってるのか良く分からない無茶さがありつつ、ちゃんとまとまってて、メディアとして成立してる感じ。この感覚が自分が雑誌に求めているもので…なかなかそういう感覚は戻ってこないなとも思う。

僕が雑誌にとんでもない魅力を感じたのも
この辺りの要素がとても作用しているのではないかと感じました